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〔御朱印〕秩父今宮神社

更新日:

公開日:2019年1月1日
最終更新日:2019年1月1日 

1.御朱印帳


御朱印帳は、表が龍、裏は龍神木が描かれています。
白と青があります。
初穂料は1,200円

2.御朱印


左は今宮神社 右は八大龍王宮の御朱印

左は八大龍王神のお姿 右は役尊神の御朱印です。
一粒万倍日にはお姿の文字が金色になります。

左は役尊神 右は龍上観音の御朱印です。
初穂料は1体各500円。

3.参拝記録

参拝日:2018年12月1日
埼玉県秩父市中町に鎮座する秩父今宮神社を参拝しました。

以前は、広大な敷地であったようですが、明治政府の神仏分離令で今の敷地になったようです。神社ではありますが、敷地内に仏教色の濃い「八大龍王」や「馬頭観音」があることから、神仏習合があった事を伺うことができます。

敷地内にある清瀧の滝で「お金」や「アクセサリー」等を洗うことができます。
洗ったあとのお金を入れるビニール袋が御朱印所にあります。小さいですがお水を入れるボトルも無料で置いてあります。

現在社殿は建設中のため、仮殿でのお参りとなります。

御祭神:伊邪那岐 伊邪那美 須佐之男命 八大龍王 役尊神 龍上観音
御由緒:秩父今宮神社は日本有数の古社である。信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになった。

天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで天武帝に協力したと伝えられている。それを境に秩父は発展を遂げる。役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となった。

平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、37日間の護摩秘呪を行う。橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立された。

京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に勧請したのは天文4年(1535)。疫病が猛威をふるったため、病魔退散を願って勧請された。永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなる。その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していた。

江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となった。

明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、独立して管理されるようになったが、御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っている。(HPより)

4.詳細情報

住所:〒368-0043 埼玉県秩父市中町16−10
最寄駅:秩父鉄道 御花畑駅から徒歩5分 西武秩父駅から徒歩10分
URL:http://www.imamiyajinja.jp/index.html

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