御朱印 神奈川県 神社

〔御朱印〕稲毛神社

更新日:

公開日:2023年8月30日
最終更新日:2023年8月30日 

1.御朱印

受付時間:9時から17時
初穂料:300円

社殿の右手の社務所の中で賜ることができます。


2023年に賜った夏詣の御朱印です。
稲毛神社は2種類あります。
末社の大鷲神社の御朱印もあります。
2023年京急夏詣キャンペーンに参加されています。

2.参拝記録

参拝日:2023年8月10日
神奈川県川崎市川崎区宮本町に鎮座する稲毛神社を参拝。
川崎駅から近く、参拝者も入れ替わりでいらっしゃっていました。

御祭神:武甕槌神 (たけみかつちのかみ)
御由緒:創建の年代は詳らかではありませんが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、稲毛神社が古社であることがわかります。
 社伝によれば、当神社は東国に争乱の絶えなかった頃、武神・武甕槌神をまつり、天皇軍の戦勝を祈る社として建てられたと伝えられています。第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられます。
 鎌倉時代には将軍家より社領七百石を賜り、佐々木四郎高綱公が源頼朝公の命を受けて御社殿の造営に当たりました。
 足利時代には、当時の神主が新田家と関係が深かったため社領を二十石に削られてしまいました。しかしこの時代の信仰の深さを物語る史料として、応永十一年(一四〇四)の大般若経六百巻施入の記録があります。また新潟県の国上寺に現存する長禄二年(一四五八)銘の鰐口は河崎山王社すなわち当社に奉献されたものです。
 秀吉公および江戸幕府からは二十石を賜りました。とくに家康公江戸入府に際し天海僧正ご巡見の参拝あり、随神門、神馬等の寄進を受けたと伝えられます。江戸時代中期以降は平和な時代風潮の中で殷賑を極め、社家九家社人十三人を擁し、川崎宿および河崎七ヶ村の鎮守として広く近隣一円の崇敬を集め、 例大祭「河崎山王まつり」は六月十五日に行われ、その盛況なさまから「東の祇園」と称されて街道名物の一つとなっていました。

 初め御祭神の御名をそのままとって、「武甕槌宮」と称していましたが、平安時代末期にこの地を領有した河崎冠者基家(秩父平氏)が山王権現を勧請して以後「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」などとよばれていました。
 山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想「山王一実神道」によりますが、慶応四年、下向された有栖川宮熾仁親王殿下が当神社にご休憩され、その折りの殿下の御言葉「御社名、新政府の神仏分離の方針に相応しからず」により、鎮座地武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と改称しました。その後、一時「川崎大神宮」と呼ばれた時期もありましたが、明治中期には「稲毛神社」が固定しました。

 旧御社殿は江戸中期の宝永年間に川崎宿本陣当主・田中丘隅の世話によって造営された荘厳優雅な建物でしたが昭和二十年の空襲により灰塵に帰してしまいました。しかしその後、氏子崇敬者の赤誠によって、昭和三十八年、鉄筋コンクリート神明造り、延べ面積数百一坪の華麗なる現社殿の新築を見ました。 なお当神社は、昭和四十一年、神社本庁より「別表に掲げる神社」に指定されました。(HPより引用)

3.詳細情報

住所:〒210-0004 神奈川県川崎市川崎区宮本町7−7
最寄駅:京浜急行 京急川崎駅から徒歩8分
JR東海道線他 川崎駅から徒歩10分

駐車場:あり
URL: https://www.takemikatsuchi.net/index.html

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