公開日:2023年5月10日
最終更新日:2024年2月4日 御朱印情報追加
1.御朱印
受付時間:10時から16時
鳥居を超えて、左手の授与所でいただきました。
御朱印は書置のみとなります。
初穂料300円
月参り御朱印参拝カードが配られます。
毎月、月替御朱印 大吉御朱印 祭典御朱印の3種類と、
1月3月6月10月に特別御朱印があり、それぞれ、1個印が押されます。
集めると、何かあるらしい・・・
祭典限定御朱印です。
月替となります。
初穂料は300円
月替御朱印です。
初穂料は300円
大吉朱印です。大吉カードお守りが入っています。
初穂料は500円
特別朱印です。
正月限定御朱印は1,300円
他は600円です。
2.参拝記録
参拝日:2022年8月12日
愛知県一宮市小信中島宮浦に鎮座する堤治神社を参拝。
地元の神社なので、お参りしている人は少ないです。
お社内には、季節に合わせてお雛さまや風鈴などが飾られています。
扉が開いているときは自由に入ってみることができます。
御祭神:埴安姫神、天照皇大神
御由緒:御鎮座は、濃尾平野の中心地にて、尾張・美濃・を区分する日本三大河川の一つに数えられる。延々と続く木曽川の大堤防上に鎮座まします古社にして、延喜式に尾張国中島郡・堤治神社として、官社に列せられ、我が国の神名帳に、従三位堤治天神と挙げられ給う。御社号を延喜式・並びに全国神名帳には「ツツミヂ」・特選神名牒には「ツツミハリ」と訓まれている。
此の尾張の地たるや、往古既に農耕の地にて住民業務に励みしも開けに開けず、古来木曽川の氾濫は常に住民を脅かしたる事は史書に依りても明白なり。景雲以来、その災害の数を挙げても数え難し、故をもってその堤防の中心の地に、木曽川全堤防の鎮守として土の神・埴安姫神を奉斎し、堤治神社と称え奉るなり。
尾張神名帳集説(訂定追考) 近藤利昌白く
尾張宿(起)・富田村等の氏神を、堤天神と言う古伝あり。一説に小信村の神明社と言うは非なり。 美濃五反郷に富田越しの民あり、其の家の系図に吾が氏神は堤天神なりという文があり。
出口延経白く 続紀に白く、第四十二代 文武天皇の慶雲三年丙午(西暦706年)尾張国の海部・中島の二郡に大水云々とあり、此の時に堤防鎮護の守護神として、此の神を祀るとある。
現在の豊饒なる尾張平野の産業を擁護あらせられるは、傭えに御神徳によるものと言うべし、故をもって延喜式には神祇官の奉斎を受けさせ給ひしと伝う。中古の尊崇は戦乱の為、今日その記録を欠くとも言えども、文政六年に境内地揚げの際・社殿の地下より出土せし、平安朝時代の神鏡(壱面は瑞花雙鸞八綾鏡)・神酒壷を始め、鎌倉時代の巨匠と言われた運慶の作と言ひ伝わる、高麗狗等今尚現存し往時の尊崇を推想し、奉るに余りある。
降つては、豊臣秀吉公(文禄三年)・伊奈備前守忠次公(慶長十三年)等大堤防改築の際、各々当神社に祈願し、完成なるや秀吉公には、五三の桐透かしある鋳銅の鉤燈篭を、伊奈備前守には、兼高の短刀壱振りを奉納し、報賽の誠を捧げしと伝う、宝物として現存する。
慶安三年九月に前代未聞の大洪水あり、俗にこれをヤロカ水と称し・尾張藩内は流言蜚語が街街・村々に満ち人心正に戦怯たり、尾張藩主・徳川光友公には、当神社に水災除去・堤防鎮護・藩内平安の祈願を仰せつけられ、金城鎮護の浄砂壱握りを三つ葉葵の紋付きの白木唐櫃に納め・刀壱振りを相添え奉納せられる。以後毎年・入梅の日に水災除去祈願祭を斎行し現在に至るも継承している。 又・貞享四年・元禄三年と再度に渡り洪水ありしに依りて、御一代に数度にわたる大水を遺憾とされて常夜燈を壱基奉納せらる、宝物として現存する。天保八年・藩主徳川斉温公には自ら筆わ染められて「満歳緑毛亀」の軸を。更に御分家の高須少将義建公には、親しく当社に詣で染め筆せられ「栖神法窟」の額面を奉納せられ、各々其の至誠を顕わさる。
斯の如く由緒深く・崇敬の心篤き者多きにより、明治に至り、尾張国の一宮・真清田神社の境外末社たるを遺憾として、独立し村社に列せられ給ひしが、近年昭和十六年(皇紀・紀元二六〇〇年を記念し)村社より県社に昇格せられる。(当時の社格は、官幣・国幣・県社・郷社・指定村社・村社)氏子・並びに遠近の崇敬者は、水災除去・堤防鎮護・五穀豊穣・産業発展・長寿健康・出逢縁結・家族相和・住民和楽は、遍へに当神社の御祭神の御神徳・御神威の御加護に外ならない。(HPより引用)
3.詳細情報
住所:〒494-0007 愛知県一宮市小信中島宮浦780−1
最寄駅:名鉄尾西線 奥町駅下車 奥町駅から徒歩25分。
駐車場:あり
URL: http://teiji-jinja.org/custom.html