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〔御朱印〕神田明神

更新日:

公開日:2020年12月28日
最終更新日:2022年5月5日 御朱印追加  

1.御朱印帳


オリジナル御朱印帳です。
赤と青の御朱印帳の初穂料は1,000円。
木の御朱印帳の初穂料は1,500円。

2.御朱印

初穂料は500円。
受付時間は、9時から17時
社殿左手の文化交流館入ってすぐの御朱印所で賜ることができます。
御朱印は右下に干支と月替わりの印が入ります。






1月松竹梅 2月梅 3月菜の花
4月桜 5月藤 6月柳
7月団扇 8月すすき 9月桔梗
10月菊 11月紅葉 12月もち花
2023年現在月替御朱印は中止


2021年、将門塚第六次改修工事竣工記念御朱印を賜りました。
初穂料は500円

2023年に賜った神田祭御朱印です。
見開きで、書置きでの対応となります。
初穂料は1,000円



神田神社の御朱印はその年の十二支が入ります。

3.参拝記録

参拝日:2020年11月28日
東京都千代田区外神田に鎮座する神田明神を参拝しました。
土曜日ということもあり、結構混んでいました。
境内は広いし、文化交流館で休めたりできます。

参拝日:2020年12月26日
幸先詣ということなのか、予想以上にみなさん参拝されていました。

御祭神:大己貴命 少彦名命 平将門命
御由緒:社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。

 その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。

慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

 江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。

 明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。

 明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。大正12年(1923)、未曾有の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまいましたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、はやくも復興が計画され、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。

 昭和10年代後半より、日本は第二次世界大戦へと突入し東京は大空襲により一面焼け野原となってしまいました。当社の境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰しましたが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬきました。戦後以降、結婚式場・明神会館など次々と境内の建造物が再建されていき、昭和51年に檜木造の隨神門が再建されるに及び、江戸時代に負けない神社の姿を取り戻しました。

さらに「平成の御造替事業」が行なわれ、社殿の修復・塗替えや資料館の創建など境内整備が進められました。平成17年、神札授与所・参拝者控え所・休憩所を兼ね備えた鳳凰殿、氏子英霊をお祀りする祖霊社が建立されるなど、さらに境内整備が進められております。(HPより引用)

4.詳細情報

住所:〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16−2
最寄駅:JR中央総武線 東京メトロ丸の内線 御茶ノ水駅 下車
徒歩10分。

駐車場:あり
URL:kandamyoujin.or.jp

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