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〔御朱印〕岩津天満宮

更新日:

公開日:2023年3月5日
最終更新日:2023年6月8日 御朱印追加 

1.御朱印帳


オリジナル御朱印帳です
初穂料は、2,000円

2.御朱印

初穂料は500円。
受付時間は、9時から17時
社殿右手の授与所で賜ることができます。
授与所に人がいないときはそばのインターフォンをならします。


2022年に賜った、通常の御朱印です。

月替わりの御朱印です。









2022年9月は、「ダリア」「月」
2022年10月は、「石段」「筆まつり」

2022年11月は、「紅葉」「新嘗祭」
2022年12月は、「ポインセチア」「雪景色」
2023年2月は、「梅花」「追儺」
2023年3月は、「ダルマと灯篭」「ひな祭り」
2023年4月は、「桜梅」「春卯月」
2023年5月は、「鎧兜」「皐幟」
2023年6月は、「花束」「万華鏡」
書置きでの対応となります。


1月は干支入りの御朱印となります。

3.参拝記録

参拝日:2019年1月1日
愛知県岡崎市岩津町東山に鎮座する岩津天神に参拝。
バス停から坂をひたすら登っていきます。境内入口からも階段が続いています。バスは30分から1時間に1本で出ています。
階段を登りきったところには、撫牛がいます。
Cafeもあり、食事や甘味処となっています。

御祭神:菅原道真公
御由緒:ここ岩津の里には、里の長(おさ)たちのものと言われる古墳があります。
 その昔、死者は里よりも高いところに葬られ、死者の霊は次第に浄められ、里を守る祖霊となりました。多くの古墳が存在する岩津山は、古の人々にとっての聖なる場所でした。
 一条の稲光と共に、芭蕉の葉に乗った菅原道真公の御神霊がこの聖なる岩津山に降り立ちました。菅公の御神霊と土地を守る祖霊が出会い、岩津山は菅公の御神徳と霊気満ち満ちた霊山・天神山となりました。

 徳川氏の祖となる松平信光公創建の信光明寺、その22世は一誉上人。
 徳川将軍家に縁深い寺の住職として、将軍拝賀のため江戸へ向かいますが、旅の途中、病に倒れてしまいます。土地の人の勧めで天満宮へ病気回復を心中祈願したところ、病はたちどころに癒え、将軍家への拝謁を無事済ませることができました。
 霊験に感謝した上人は、江戸よりの帰途、鎌倉・荏柄山天満宮を参拝し、御分霊をいただき岩津に戻って参りました。
 御分霊は信光明寺の観音堂に一旦祀られましたが、ある夜、上人の夢枕に天神様が立たれ「我を 四辺眺望の地に 祀るべし」との御神託を告げられたのです。
 こうして岩津山の頂きに神祠が建立され、岩津天満宮が創建されました。ときに宝暦9年(1759)、この後、信光明寺歴代上人の布教努力により、病除けという岩津天満宮独特の信仰が広められたのです。

人造石を発明した稀代の技術者として、品川弥二郎子爵をはじめ、明治の錚々たる人々に服部長七の名は知られ始めた頃。

 明治11年(1878)、39歳の長七は愛知県・岡崎の夫婦橋の掛けかえ工事を請け負いました。この工事は明治天皇ご巡幸を控えての大変重要な仕事でした。完成直前のある日、長七は夢とも幻ともつかない光に包まれます。神仏よりの奇瑞を感じた長七は一旦工事を止め、霊験あらたかの評判の高い岩津天満宮で工事竣功のための参籠を行うことにしました。満願の朝、長七の夢枕に白衣の老人が立ち、「夫婦橋の工事には欠陥がある。特に水中を吟味せよ。」
と長七に告げます。
 長七は天神様のお告げの通り、全員総掛かりで水中を探したところ、やはり欠陥が見つかりました。昼夜兼行で夫婦橋を完成させ、その誠実無比の仕事ぶりは、長七の名をさらに高いものとしたのです。
 この後長七は、国家的な土木事業に活躍の場を広げますが、およそ二十年後再び岩津天満宮と深くまみえ、中興の祖と仰がれるようになりました。

 越中(今の富山県)立山は 富士山・白山と並ぶ日本三霊山のひとつです。
 ここに立山の山岳信仰の拠点・芦峅寺(あしくらじ)があります。開山の祖は佐伯有頼。
 以来、佐伯家は連綿と立山信仰を伝え守り、明治時代は大阿闍梨・佐伯鑁禪師(芦峅寺・善道坊)がその佐伯家を受け継いでおられました。

 岩津天満宮は明治の神仏分離により信光明寺の所管より離れ、岩津村の人々によって管理されていましたが、明治12年、火災によって堂宇の全てを失ってしまいました。
 丁度この頃、大阿闍梨・鑁禪師は三河で布教をしており、荒れ果てた岩津天満宮を訪れたのです。霊山・立山で修験の道を究めた師は、天神山に鎮まる御神霊の力や、ただならぬ岩津天満宮の濃密な霊気を感じ、天神山復興を決意されました。

この頃、還暦を迎えた服部長七は郷里である碧南・新川に居を構えていました。
この新川の邸宅こそ、大阿闍梨・鑁禪師の三河布教の折の常宿となっていました。
鑁禪師は岩津天満宮の窮状を詳しく語り、その復興支援を長七に頼み込みました。

長七自身神仏への思いがことのほか深く、また夫婦橋工事にまつわる、岩津天満宮での不思議な出来事を鮮やかに思い出した長七は支援の依頼を一も二もなく快諾しました。
単に資金援助にとどまらず、師と共に奔走、途中からは自らも天満宮に住み込み、岩津天満宮の再興におよそ20年に亘る再興事業に残りの人生をすべて注ぎました。
大正8年(1919)、現在に残る拝殿の造営を成し遂げ、岩津天満宮中興の祖・服部長七翁は境内の一隅で帰幽、享年80 歳でした。(HPより引用)

4.詳細情報

住所:〒444-2144 愛知県岡崎市岩津町東山53
最寄駅:JR岡崎駅 又は 名鉄東岡崎駅から奥殿陣屋 足助方面行
岩津天神口下車 徒歩10分。

駐車場:あり
URL: https://www.iwazutenjin.jp/

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