御朱印 神社 富山県

〔御朱印〕護国神社

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公開日:2018年11月11日
最終更新日:2018年11月11日

1.御朱印

初穂料は頂いていないとのことでしたので、300円を賽銭箱に納めました。

書かれている歌は、特攻隊員で富山県出身の高田豊志命が、家族に宛てた遺言の歌の一部で、お母様に送られた部分です。他のご家族に宛てた歌もあり、富山県の護国神社のHPで読むことができます。

2.参拝記録

参拝日:2017年3月15日
富山県富山市磯部町に鎮座する護国神社です。

御祭神:幾多の戦役で國の為に戰歿された富山県出身の方々の御靈を、御英靈としておまつりしています。また、昭和二十年八月一日深夜に始まった、米軍による「富山大空襲」による無差別空爆により、戰災死された御靈と公務殉職者、神社関係者の御靈をおまつりしてをります。(HPより)

御由緒:この磯部の地は、慶長三年、佐々成政が別園を築き、休憩所を建てたと云はれ、遥か東南に御鎮座されてゐた樫葉神明社にたびたび参拝されたと云う由緒ある所ですが、ここに明治四十五年九月二十五日、富山縣會に於て、富山縣指令社第七三六号に依つて「富山縣招魂社」として創立認可され、時の縣知事濱田恒之助が建設委員長となり、翌大正二年八月、神明造の本殿、拜殿、神饌所手水舎等の竣工をみて御鎮座されたものです。
その後内務省、護國神社令により昭和十四年四月一日「富山縣護國神社」と改稱し、間もなく奉賛會が結成され、縣民あげて奉賛されてきました。
しかし、昭和二十年八月一日、米軍の空襲により富山市を中心に火の海と化し當神社も手水舎を残して全て焼失してしまつたものです。その後、昭和二十二年四月十三日、富山縣鎮靈神社と改稱、同時に奉賛會が結成され、同年十月二十一日仮社殿竣工、昭和二十六年十月二十四日、富山縣護國神社と復稱、翌二十七年十月二十六日富山縣護國神社奉賛會を結成するに至り、さらに焼失した御社殿を復興するため、昭和二十八年、富山縣護國神社建設委員會が結成され、昭和二十九年十月二十日、現在の社殿の竣工をみたのです。
その後、昭和五十年八月一日、終戰三十周年記念事業として、戰災殉難者、公務殉職者、縣功労者の御靈を祀る富山縣鎭靈神社を御造営し、さらに、昭和五十七年十月御創建七十周年記念事業として、新社務所、屋外便所、南玉垣、南鳥居等の竣工をみました。又、平成四年十月御創建八十周年記念事業として大拜殿、北・西側の玉垣造成をなし、平成七年八月、大東亜戰争終戰五十周年記念として臨時奉幣大祭を斎行。
併せて遺芳館を建設し、更に、平成十四年十月四日、御創建九十周年記念事業として本殿大修復を終へ正遷座祭を斎行し現在に及んでゐます。(HPより)

3.詳細情報

所在地:〒930-0077 富山県富山市磯部町1-1
最寄駅:市内電車 安野屋電停から徒歩5分。
駐車場:あり
URL:http://www.toyama-gokoku.jp/news/index.html

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