公開日:2019年3月16日
最終更新日:2019年8月28日 御朱印追加
1.御朱印帳
オリジナル御朱印帳があります。
初穂料は1,500円から
2.御朱印
受付時間:9時から17時
初穂料:書置は300円 直書は500円
社殿右手の授与所で賜ることができます。
不在時は、書置があります。
2025年に賜った書置御朱印です。
境内社の真田神社の御朱印もいただくことができます。
3.参拝記録
参拝日:2025年7月1日
長野県上田市真田町長に鎮座する山家神社を参拝。
上田駅より少し標高が高いため、駅周辺より少し涼しいです。
ご不在のようでしたので、書置をいただきました。
御祭神:大国主神 伊邪那美神 菊理媛神
御由緒:創立年は不詳であるが、延喜式神名帳収載の山家神社で、土地の神(大国主神)を祀って旧山家郷の産土神としたものである。 景行天皇の御代(71~131)に日本武尊を合祀したと云う。 社伝に、「本社の別当浄定というもの越の泰澄の徒弟にして加賀の白山比咩神社を信仰し、其の神霊(伊邪那美神、菊理媛神)を勧請し、養老二年(718)奥宮を四阿山あずまやさん絶頂に奉遷す」とある。 この養老年間には四阿山御手洗川である神川に吉田堰が開削され、御山開山は河川技術の伝播が深く関わっている。
本社はもと旧字古坊ふるぼうに鎮座していたが、文徳天皇天安元年(857)六月十六日、暴風雨洪水にして社殿を崩壊し、神森を押し流して現在の地に遷ったと伝えられている。 尚、この時、神主の清原眞人某は姓を押森と改称したと云う。
『神祇志』に「山家神社、今在四阿山上、即古山家郷之地、郷名今存干真田村、其地又有一祠、日山家社、蓋後世所分祠也」とあり、 『神祇志料』には「山家神社、今真田村山家にあり、白山神と云うと見ゆ」とある。
山家神社は農業、水利、疫病、盗難、その他諸々の災厄、祈雨、祈晴に霊験あらたかな為、古来、国司、守護職、武門、武将より一般民衆に至るまで、 崇敬極めて厚く、その信仰は長野県下はもとより、埼玉、群馬、遠くは兵庫県にまで及んでいた。特に真田氏代々の崇敬深く、奥宮(四阿山)並びに本宮の営繕や寄進を受けている。 慶長五年(1600)九月兵火にかかり全焼し、翌六年に真田信幸公が再建した。
その後の仙石氏松平氏入部以降明治四年の廃藩置県に至るまでの間、上田城鬼門除の神、又、城の守護神として上田藩の崇敬深く、祭典費営繕費等の寄進及び恒例による藩主の参詣、神札の授与が行われていた。
『甲石之郷指出帳(上田藩村明細帳)』に「上田御城門之為鬼門、御城主様御代々御建立御修覆、御祈祷無懈怠執行仕、依之御城主様御在城之節者、御社参被為遊、其上毎年御代参御座候、御札守差上候」とある。
白山信仰が全国に広がりをみせる中世以降、当時の神仏混淆の結果「白山大権現」と称し、神護寺(神宮寺)である白山寺と共に祭祀が行われるも、明治維新(明治二年)に神仏混淆が廃止され、社号を旧来の山家神社に復した。
明治六年四月に郷社に列せられ、同四十年四月五日神饌幣帛供進指定を受け、昭和五年六月十九日付で県社に昇格した。
社殿は、明治二十年の真田大火の類焼で全焼、翌二十一年に再建されたものである。(HPより引用)
4.詳細情報
住所:〒386-2201 長野県上田市真田町長4473−ロ2
最寄駅:JR北陸新幹線他 上田駅 上田バス菅平高原戦 真田下車 徒歩5分
駐車場:あり
URL: http://www.yamaga.or.jp/?utm_source=google&utm_medium=mybusiness&utm_campaign=yamaga