公開日:2022年8月27日
最終更新日:2022年8月27日
1.御朱印帳
オリジナル御朱印帳です。
亀山八幡宮と隣のおかめ明神の御朱印2体込で
初穂料は2,000円。
2.御朱印
初穂料は500円から
限定御朱印もあります。
受付時間は、8時30分から16時30分
社殿左手の授与所で賜ることができます。
通常の御朱印です
隣のお亀明神社も賜ることができます。
月替御朱印や限定御朱印、十二支の御朱印も出されています。
3.参拝記録
参拝日:2022年8月26日
山口県下関市中之町に鎮座する亀山八幡宮を参拝。
目の前に唐戸市場があり、観光客の参拝もいらっしゃいました。
隣の駐車場の一角には、人柱となった「お亀」さんを祀る「お亀明神社」があります。
御祭神:応神天皇 神功皇后 仲哀天皇 仁徳天皇
御由緒:亀山八幡宮は、下関市の中心地に祀られています。御祭神は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・仁徳天皇。平安時代・貞観元年(859)に宇佐八幡宮から勧請されました。
「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれている亀山八幡宮がある地は、古くは島でありました。
平安時代・貞観元年(859)に、京の都の守護のため宇佐神宮(大分県)から石清水八幡宮(京都府)に勧請される途中、この島の麓に停泊されました。その夜、「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」とのご神託があり、供の勅使は国主に命じ仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝えられています。(享保年間「防長社寺由来」記載)
「亀山」という名称は、当時島の形が亀に似ていたとも、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山だからともいわれています。
室町時代に明と貿易が始まると、遣明船は太刀を奉納し航海安全を祈願しました。
戦国時代、国内はもとより当藩も疲弊し神社も荒廃していましたが、藩主大内義興は永正3年(1506)に朝鮮国国主に当宮修復の寄進を要請し、その財でもって社殿・楼門等が修築されました。当時朝鮮と交易していたとはいえ海外に寄進を仰いだことは稀有なことであります。
次の藩主義隆も神社の興隆に力を注ぎ神領550石を寄進され、次いで毛利藩主も300石を献じ能舞台等を建立。元禄15年(1702)には「長門国三社」と号されています。江戸末期の文久3年(1863)に藩主は攘夷を祈願し、慶応3年(1867)に国難去ったとして剣馬を寄進されました。このように亀山八幡宮は、累代藩主の崇敬・庇護が篤いお社であります。
明治7年に郷社、同34年県社。昭和43年に別表神社に列し、下関60ヶ町の氏神様として尊崇されています。 (HPより引用)
4.詳細情報
住所:〒750-0004 山口県下関市中之町1−1
最寄駅:JR山陽本線下関駅からバスで「唐戸停留所」下車徒歩3分
駐車場:あり(駐車場の入り口は裏側からのようです。)
URL:http://www.kameyamagu.com/index.htm