御朱印 神社 宮崎県

〔御朱印〕槵觸(くしふる)神社

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公開日:2022年7月20日
最終更新日:2022年7月20日 

1.御朱印

御朱印は社殿のお賽銭箱そばに書置の御朱印が置いてあります。
日付は自分で入れて、初穂料はお賽銭箱に入れます。
直書きは高千穂神社で賜ることができます。お守り等も同様です。
初穂料は300円。

受付時間 不明 社殿の扉が開いている間は拝受可能。


2022年に賜った御朱印です。
高千穂神社でいただきました。

2.参拝記録

参拝日:2022年7月18日
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井に鎮座する槵觸(くしふる)神社を参拝。
木々が多く、森の中に本殿はあります。(虫が多かった)

御祭神:天津彦彦火瓊瓊杵尊 天児屋根命
御由緒:創祀の事情は不詳であるが、槵觸山の中腹に鎮座し同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったという。
 槵觸山は日本神話の天孫降臨の行われた聖蹟と伝え、『日本書紀』神代巻下の天孫降臨段第1の一書に見える「高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)」や、第2の一書の「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」、『古事記』の「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(くじふるたけ)」、『日向国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)の「高千穂の二上の峯」に比定され、古来霧島山とともに天孫降臨の有力な比定地とされ、霧島神社と並び称された。また、当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば神階の授与が行われたことになるが、『延喜式神名帳』への記載は見ないままとなったことになる。
 古来より高千穂神社の春祭りに対して秋祭りを行うなど、同社と密接な関係を持つとともに、社殿を持たぬながらも高千穂郷八十八社の1つに数えられて旧三田井村々民から崇められて来たが、社伝によれば、三田井の領主であった三田井氏(豊後大神氏の後裔)の滅亡[4]とともに荒廃したと伝える。元禄7年(1694年)に社殿建立を熱望した高千穂神社宮司が延岡藩主三浦明敬の援助を仰ぎ、高千穂18郷の郷民の協力の下、初めて社殿が建立された。また、藩主内藤氏も祭礼に代参を派遣して神事料を奉納するなどしている。
 国史見在社に比定されたため、明治4年に県社に列せられ、戦後は神社本庁に属している。(Wikipediaより引用)

3.詳細情報

住所:〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井713
最寄駅:高千穂バスターミナルから徒歩10分
駐車場:あり
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