公開日:2020年2月1日
最終更新日:2024年6月16日 御朱印情報追加
1.御朱印帳
オリジナル御朱印帳です。
この色と、橙色の2種類です。
初穂料は、1,500円。
2.御朱印
受付時間:9時から16時
初穂料:500円
社殿右後ろにある社務所でいただくことができます。
通常いただける御朱印です。初穂料は500円。
お正月限定御朱印です。
1月1日からの御領布で、書置きでの対応となり、なくなり次第終了となります。
こちらの白鯛と赤鯛の2種類あります。
2024年からは七色の色紙の干支御朱印となります。
初穂料は、500円。
2024年に賜ったゆく年くる年御朱印です。
書置対応で、200枚の御領布で、なくなり次第終了です。
初穂料は1,000円
27日に御領布される勝朱印です。
8月27日は諏訪神社の大祭です。
8月は大祭勝朱印の御領布があります。
こちらは2020年に賜った勝朱印です。
2020年は8月1日から8月31日までの御領布です。
月毎に御朱印を出されています。
一番左は御朱印帳に直書きしていただけます。
真中は梶模様、右は干支で書置となります。
初穂料は各500円。
御朱印に十二支の印があるので、年に一回お参りしています。
3.参拝記録
参拝日:2020年年1月30日
東京都新宿区高田馬場に鎮座する諏訪神社を参拝しました。
1月中旬までは近所の人や、大学関係者が初詣参拝をしているため、にぎわっていますが、普段はとても静かな神社です。
御祭神:武御名方命(たけみなかたのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)
御由緒:創建は、弘仁年中(西暦810~820)小野篁朝臣が、大国主命、事代主命を祭祀すと云われます。 当時当神社は、奥羽街道の一部松原街道に面しておりましたので、松原神社と称されておりました。 承和年中(西暦834~848)には、空海の弟真雅僧正再営と伝えられます。 永承年中(西暦1046~1053)源頼義、義家父子が陸奥の国の阿倍氏反乱(前九年の役)鎮定の折、当社に祈願せられ、凱陣の節には武器を納められました。
文治五年(西暦1189)の春、源頼朝公が藤原泰衡討伐の為、陸奥発向のみぎり、当社に祈願あり、凱陣の後に社殿を造営せられました。 この時頼朝公は、頼義、義家父子を当社境内に白旗社として祀られました。 建長六年(西暦1254)北条時頼が、厳島神社を境内に祭祀しました。 この神社は当神社の飛地に池と共に祀られておりましたが、現在は本社に合祀されております。
応仁三年(西暦1469)春、太田道灌が社殿を再営しましたが、北条早雲の為悉く焼失しました。
その後江戸時代初期に、尾張の徳川家の祖である徳川義直公が、信濃国の諏訪神を勧請し、当社に合祀せられ、現在の諏訪神社と改称致しました。 又人皇第百八代後水尾天皇が、当社に御神体を御寄附になりました。 寛永年中(西暦1624~1644)将軍徳川家光公が造営せられ、続いて家綱公が当時当社近隣地域は鷹狩りの名所でありましたので手鷹を奉納され、 これより老鳥は代々当社へ奉納することになりました。 又これにちなみ、鷹狩りの絵馬が数多く奉納されるようになり、今でも新宿区内随一多数の貴重な絵馬が神社に保存されております。
明和年中(西暦1764~1772)家治公が鷹狩りの節に参詣されて、当社の御祭神を御城庭へ遷祭の上意があり、 依って紅葉山(今の宮城内)、吹上(浜離宮)両御庭へ遷祭致しました。 その後、営繕の儀は全て徳川家に於て奉仕せられました。天保六年(西暦1835)に社務所より出火し、神庫、末社に至るまで、悉く焼失しました。
明治三年社殿もひどく破損しましたので、氏子一同が修復を致しました。
その後、社殿も大変老朽化し破損もはなはだしくなりましたので、明治百年の記念事業として神社の建造物全般にわたる新築計画がなされ、 昭和四十九年に社務所新筋工事より着手し、翌年完成、続いて宮神輿庫が、奈良県唐招提寺の国宝の校倉を模して建て替えられました。 そして昭和五十二年にいよいよ本殿御造営工事が始められ、三年を費やし、昭和五十五年に、荘厳にして華麗なる新社殿が落成致しました。 (HPより)
4.詳細情報
住所:〒169-0075 東京都新宿区高田馬場1丁目12−6
最寄駅:東京メトロ副都心線 西早稲田駅 徒歩3分
URL: https://www.instagram.com/koinomori_suwajinja/?hl=ja
駐車場:あり