公開日:2019年11月21日
最終更新日:2019年11月21日
1.御朱印帳
初穂料は1,000円。
赤と緑がありました。
2.御朱印
日枝神社境内にある明徳稲荷神社の御朱印です。
初午祭のみの御領布となります。
兼務社の兜神社の御朱印を賜ることができます。
初穂料は500円。
3.参拝記録
参拝日:2019年2月22日
東京都中央区日本橋茅場町に鎮座する日本橋日枝神社を参拝しました。
初午祭が行われていたため、甘酒がふるまわれていました。
周辺は金融関係の会社が多いためか
御祭神:
日枝大神
(大山咋神(おおやまくいのかみ)・国常立神(くにのとこたちのかみ)・伊弉冉神(いざなみのかみ)・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと))
相殿 菅原大神(菅原道真公)・稲荷大神(宇氣母智神(うけもちのかみ))・浅間大神(木花佐久夜比売命(このはなのさくやひめのみこと))
御由緒:日本橋日枝神社は天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸された事に始まります。
寛政十二年(1800)の江戸名所図会巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建ち、隔年六月十五日の山王祭の際は、この二社の手前に仮殿が設けられ、永田馬場の本社からの神輿三基を中心とする供奉行列の神幸があり、実に大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えられています。
境内地には天満宮、稲荷社、浅間社のほか、山王の本地とされる薬師堂や閻魔堂も建立され、縁日や勧進相撲も行われていました。
明治元年神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離されました。明治十年に山王宮は無格社日枝神社に、大正四年には本社の官幣大社昇格に伴い日本橋日枝神社と改称されました。現在の社殿は大正十二年九月の関東大震災後、昭和三年に造営され、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。昭和二十年三月の東京大空襲により罹災しましたが、直ちに補修を行い、昭和四十一年に御屋根葺替と大修理を加えました。平成二十二年には再び、老朽化した社殿に外装工事を施し今日に至ります。なお正面の石鳥居は、万治年間に本社石階段下に設けられましたが、昭和三十六年に現在地に移設されました。(HPより)
4.詳細情報
住所:〒103-0025 東京都中央区日本橋茅場町1丁目6番16号
最寄駅:東京メトロ東西線・銀座線 茅場町9番出口徒歩1分
URL:http://www.hiejinjanihombashisessha.tokyo/